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私のアルゲリッチ



中学3年(15歳)の時、音楽雑誌「ステレオ芸術」に掲載された文章です♪

「レコード・ア・ラ・カルト」という、レコード(当時、CDはなかった)についての原稿公募のページで、
評論家でも一般読者でも応募できました。この時の号では、評論家1名、会社員2名と、私の原稿が採用され、
「(36歳)会社員 」という方のお隣に、しっかり 「 野谷 恵 (15歳) 中学生 」と書かれた私の文が
載っています。(何年の号かは、年がクッキリばれちゃうから、許して下さいね・・・)

レコードの曲にまつわる思い出として、彼女に会った時のことをメインに書きました。
( 会話していた時は、連れて行って下さった先生と通訳の方が席を外され、2人きりでした。)
ステレオ芸術からは、ちゃ〜んと原稿料まで頂いて、大人と同じ扱いをして頂いたことに大感激でした。
つまり・・・・私の初収入は、原稿料だったワケです♪


● 私のアルゲリッチ ●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
音楽雑誌・ステレオ芸術・・19◎◎年1月号に掲載

プロコフィエフ・ピアノ協奏曲第3番&ラヴェル・ピアノ協奏曲ト長調
  マルタ・アルゲリッチ(P)
  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
  (日本グラモフォン)

野谷 恵 (15歳) 中学生


 彼女は気軽な調子で、”ハロー”と言った。答えようとしたが声が出ない。かすれた声でやっと”ハロー”。
はっと気がついてあわてて右手を出した。柔らかく握ってくれたちょっとかたい彼女の手の、
何と暖かかったこと。

4月30日、ピアノのE先生に連れられ、私のアルゲリッチに会うためにグランドホテルへ。
彼女、9月に赤ちゃんが生まれるそうだ。先生のお嬢さんがショパン・コンクール以来の友人で、
彼女のマタニティドレスを頼まれたそうだが、既製服では身体にあわず、4日間の超スピード・オーダー。
その日はホテルで仮縫い。
演奏旅行がいそがしく、服を作る暇がないのだそうだ。彼女は困ったろうが、私には幸運。
そのために憧れの彼女に会え、お話までできたのだから。
以下は彼女と私のおしゃべり。

”今日はすばらしいお天気ねえ。あなた英語できる?”
”はい・・・・・・・・少し。”
”何か飲まない?”とそばにあったメニューを差し出す。
”あのー、でも・・”
”あら遠慮しなくていいのよ ”

ボーイを呼ぶが、なかなか来ない。
苛立たしそうな彼女を見ているうちに緊張がほぐれた。こちらから質問。
”お子さん、いらっしゃいますか?”
”(微笑)ええ、いるわ。”
”男の子?”
”女の子”
”幾つかしら?”
”六つよ”
遠くを見つめてフッと微笑。きっと、ママそっくりの可愛い子だろう。

話がつかの間とぎれた。白く長い足を組んで、うつむいた彼女の何て美しいこと。
思わず、言葉が口をついて出た。
”あなたって、きれい”
顔をあげて ”まあ、(笑) どうもありがとう。ねぇ、あなた、E先生のところで勉強しているの?”
”はい、私、あなたの演奏が大好きなんです。レコードも全部持ってます。”
”まあ、ありがとう”
”私、プロコフィエフの協奏曲が一番好きです。ほんとうに素敵。”
”まあ、(目を輝かせて) ええ、ええ、私もよ。あれはいいわ。私も大好き!あなたは弾くの?”
”とんでもない!”
二人で大笑い。

・・・・・・その帰り道、私は1月に来日したときの、彼女の演奏会を思い出していた。
明るいライトの下、あの美しい顔いっぱいに笑みを浮かべ、軽く頭を振りながら、
憧れの彼女は現れた。歩き方、お辞儀の仕方、腰かけ方、総てが彼女そのものだった。
会場は隅々まで彼女の色に染まり、彼女のにおいが溢れていた。
これが本当の生演奏なのだと思った。
美しいフルートの導入。ピアノが光り輝き走り出す。プロコフィエフの第3協奏曲。
私の大好きな曲。
彼女は名高い難曲を、余裕綽々として弾いてのける。正に稀有の<天才ピアニスト>である。
強烈な印象を与えられた。あれから1年が過ぎようとしている今でも、このレコードを聴くたびに、
あの夜の彼女の演奏が生き生きと甦ってくる。
2,3年後にまた来たいと言っていた彼女。その時の彼女の演奏が今から楽しみでならない。



● 補足(蛇足・・・笑) ●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

中学1年の春、中学合格祝いに、母が、札幌交響楽団の特別演奏会として開催された、
ブルーノ・レオナルド・ゲルバーの協奏曲の夕べに連れて行ってくれました。
ベートーヴェンの3番と5番「皇帝」を一夜で、というものでした。

その素晴らしさに圧倒されて(それまでも、好きで聴いてはいましたが)
すっかりクラシックにはまり、中学〜高校時代は、お小遣いは音楽雑誌とレコードに
ほとんど遣ってしまうというマニアックな子でした。

アルゲリッチのレコードを、「全部持ってます。」と彼女に言ったのは、ホントーのことなんです。
身体が弱く、よく学校を休んで寝ていましたので、半端じゃない長時間、レコードを聴いていました。

アルゲリッチに直接会ったのが中学3年の4月で、生演奏のプロコフィエフ(札響定演)を聴いたのは、
中学2年の1月でした。それ以前の私はプロコは嫌いだったのですが、せっかくアルゲリッチが来て生で聴けるなら、
それまでの間に、この曲が理解できたらいいな・・と考え、何ヶ月も、とにかく毎日、毎日、繰り返し聴きました。
そうしたら、好きになれたわけです。(笑)

音大受験生の皆さんで、課題曲が嫌いとかで悩んでいる方は、とにかく好きになれるまで、トコトン聴くのはお勧めデス♪

中1から聴いていた札響を応援するバナー↓、貼ってみました。
頑張って下さい、札響の皆さん!



ところで、そうやって聴いていれば、誰でも、演奏の良し悪しは分かるようになっていきます。
そして毎月最低3冊の音楽雑誌(レコード芸術、ステレオ芸術、音楽の友、時には音楽現代他も)で、
当時の第一線の評論家の皆様の文章を読んでいれば、必然的に、
「音楽評論の語法」といったものも身についていきます。

で、中学生が”イッチョマエに”(笑)、評論家のような事を言っていれば、
先生も面白がって、話相手をして下さる・・・。それが嬉しくて、
厳しいレッスンの合い間の”救い”でしたが・・・。
ピアノはヘタなくせに、「自分は音楽が分かっている」と自己満足していました。
分かったからといって弾けはしないというのも、分かってはいたのですが。

高校の2〜3年くらいだったでしょうか。
きっかけは忘れましたが、突然、強く思いました。
「耳のいい評論家より、腕前は悪くても演奏家になりたい。」と。
「一流の批評家より、二流でも三流でも五流でもいいから演奏家になりたい。」と。。
以後、少しづつ、音楽雑誌を買うのは減っていきました。
世界的演奏家の演奏について、一人前にあれこれ言うのは、
自分のレベルが上がったような気がして嬉しかったのですけれどね・・・。
やっぱり、ヘタな自分とちゃんと向き合って、ピアノを頑張ろうと思いました。

遥かな昔話。でも、結局、あの頃の気持ちを貫いた人生になりました。
私は、一流の批評家にはならず(笑)、何流かは聴く方のご判断にお任せしますが、
演奏する人になりました。

悪戦苦闘して食費まで削って勉強し、少しは昔より上手くなれたという過程があったから、
子供の頃から上手かった人より、教える材料はとても沢山あります。

こういう人生も、これはこれで、よかったのかもしれない、とも思います。
迷ったことも、やめようと思ったことも、あったのですけどね・・・。
やはり、ひとつのことを頑張って生きてきて、よかったです。

後は、生きている間に、どれだけ生徒に手渡せるか・・・ですね。




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