ピアノアルバム Vol.1
〜〜思い出深いステージ〜〜
サントリーホール小ホール(東京・赤坂)
全日本ソリストコンテスト入賞者披露演奏会 (1994)
この2週間ほど前に、突発性難聴になりました。
入院はせず、連日数時間の点滴に通っていました。
固定化し、右耳の中音域(人の話し声の音域)が遠いのと、その後何度も再発し、
左耳の低音域もやや遠く、でも聴覚過敏なので大声は困るというやっかいな耳です。
ご心配なく、指揮者なら無理ですがピアノは弾けます。
(というか、やめる気さらさらないです♪)
サントリーホール小ホール
全日本ソリストコンテスト授賞式
2月に予選、3月に本選、6月に授賞式でした。
予選参加者は270人でした。このコンクールでは本選に入った後
さらに入選者も選ばれる形でしたので、入選者も入賞者も
表彰されました。(私は入賞でした。)
入選の方々に贈られる、ガラスの中に金属が入った
トロフィー(後ろのテーブルにあるもの)の方がとても素敵でした。
(私のは青銅?重いです。)
サニーホール大ホール(東京・日暮里)
・・・の楽屋の廊下
「秋の音楽祭」表彰式終了後 (1992)
秋の音楽祭という長い演奏会で、コンクールも兼ねたもので
音楽祭賞を頂きました。審査後、係の方が「賞に決まりましたので、
ドレスに着替えて舞台裏へいらして下さい。」と、呼びに来られ、
なんだか現実感が湧かないまま、慌てて着替え直しました。
札幌市教育文化会館大ホール
札幌市民芸術祭新人音楽会
ラジオ番組でもお話しましたが、私はこの演奏会のオーディションを
5年間受け続け、5回目に合格しました。もちろん、とても辛かったです。
でも、1回や2回で受からなくても、勉強を続け、受け続けることで、
力は付いていきます。本当にその5年間に感謝しています。
私は幸い20代で合格できましたが、30代40代の「新人演奏家」が
登場するというのも素晴らしい事だと思います。
ですから、突然できた年齢制限は、残念でなりません。
関係者の皆様には、何とかお考え直し頂くことはできないものでしょうか?
札幌市教育文化会館大ホール
札幌芸術劇場 「コンサートさっぽろ」 新人音楽会30周年記念演奏会
10年に1度の催しです。
20代の頃、5年受け続けてやっと受かった新人音楽会でしたが、
過去10年間の新人音楽会出演者の中から、
大きく育ち活躍した演奏家と認めて頂いた、大変光栄な演奏の場でした。
感無量でした。
札幌市教育文化会館大ホール
札幌ピアニスト協会第30回記念演奏会
珍しい連弾風景。手前が私です。
(ピアノは2台ありますが、私達は1台で連弾でした。)
お相手は、私が学生時代、母校の先生だった方で
試験の時、私の点をつけたのを覚えてらっしゃるとのこと。
驚いて「どうしてですか?」と伺ったら「弾き方が大家みたいだったの。
演奏中に上向いたりして・・・」って・・・・・・・(^_^;;
この白いドレスは雪女の時のドレスのケープをとって、ウエストには
第2ピアノの方のドレスと同じ色の幅広の布を結びました。
北海道教育大学札幌校講堂
ヤマハ主催リスト音楽院セミナーでの
ラントシュ・ピアノコンクール・ファイナル (1987)
演奏後の入選者7人と審査員
(右から、ショイモシュ、ラントシュ、セベスティエーン各教授)
で・・・・・、どれが私か分かります?(笑)
この写真を東京のキシュ先生の所へ持って行ってお見せして、
どれが私だと思いますか?と冗談で伺ったら
キシュ先生は2,3秒じっと見て、すぐに当てて下さいました。
この時は1名の最優秀者のみが「入賞」で、ヨーロッパへの往復航空券が
贈られました。東京のT朋音大を休んで参加した学生さんでした。
(入選者半分くらいは東京からの参加でした。)
この7名の本選での演奏は、ハンガリーでラジオ放送されたと伺いました。
でも、気が狂いそうに緊張していたので、
あまりいい演奏ではなかったと思います・・・。
札幌市教育文化会館小ホール
野谷恵ピアノリサイタル:初リサイタルのラスト、P.H.ノルドグレン「雪女」演奏後
北欧の作曲家ノルドグレンが、日本の伝統音楽を学ぶため日本に留学中に
小泉八雲の怪談を知り、そのイメージを元に書いた「雪女」。
当時メゾソプラノ(現在ソプラノ)で、後にヨーロッパへ渡り世界的演奏家となった
声楽家、工藤篤子さんのナレーションの後、演奏しました。
舞台はホリゾントライトで深い藍色に染め、照明効果で雪を降らせました。
スポットライトは朗読中は工藤さんのみに。最後に rit.しながら、「それきり・・
お雪の姿を、見た者は・・ない・・・。」と終わると同時に曲の最初の長い低音を
ボーンと私が弾き始めてから私にあたる・・という流れでした。
小泉八雲の作品を要約して、やや脚色し、私が脚本を書きました。
私が付け加えた言葉・・
「なぜ、あなたは約束を守らなかったのです・・」という
この物語のキーポイントのような言葉を
工藤さんは切なく訴えかけるように語り、胸を打つ名演技でした。
札幌市教育文化会館小ホール
野谷恵ピアノリサイタル「オール・リスト・プログラム」
花束があるから演奏後みたいでしょう?
実は某楽器店社長が、本番はお仕事で聞けないとの事で
開演前に、激励の花束を持って来て下さった時の記念写真です。
本当は、その場で演奏を聴いて頂きたいのは山々でしたが、
開演直前に本気で演奏してしまうと、本番で演奏する為の集中力が
なくなると考え、恐縮でしたが演奏はしませんでした。その代わり、
後日、本番の演奏のテープをお礼にお送りしました。
ずっと車の中で聴いて下さっているとのお返事が来ました。
教育文化会館小ホール
何の演奏会か不明・・・(^_^;
このドレスは数え切れないくらい着ましたが
何度も染めて、シルバー→薄紫→紫→濃い紫、と色を変えました。
手芸品店で売ってる染め粉で洗濯機で染めました(笑)
ムジーククライス10周年でも着ました。(濃い紫で)
ピアノハウス
ヤマハフィーリングクラブ(FCまたはYFC)発足記念、
野谷恵ピアノリサイタル
(ヤマハFCコンサートとしてのリサイタル)
今は別のお店になっている、池内1Fの西側入り口に、以前は
ピアノハウスため楽器という楽器店がありました。ヤマハ系列のお店です。
その楽器店の依頼を頂いてのリサイタルでした。
店内のピアノを大部分撤去し、椅子を並べたフロアに、溢れるばかりのお客様・・。
オールリストの半年後で、リストを1曲も入れないリサイタルは
かなり大変でしたが、お店の方々が色々な意味で素晴らしい方ばかりで、
大変充実した演奏会となりました。
感謝しています。
当日使うピアノに慣れる為に、お店に通って練習させて頂きましたが、
そういう練習の合い間や、当日にお話させて頂いたり、
お気遣い頂いた事は、大変感動し、勉強にもなりました。
当日持ち帰りきれなかった花束を、全部水につけておいて下さった女性は、
後に女性店長になられました。
当時部長さんで、後にエルムため楽器某店店長になられた方は
気配りの本当に素晴らしい方で、部下の方々の事も立ててお話をされていました。
大変勉強になりました。
1年に2回のリサイタルは、卒業生の中で前例がないとのことで、
母校の音楽科同窓会から大変立派なお花のスタンドを頂き感激でした。
タムズホール
サマーコンサート(?)
その後、ため楽器は4丁目のアルシュビルに移転しました。
そこに100席程度のホールがありました。ピアノはCF。
小さな催しにはうってつけの規模で、時々使わせて頂きました。
共済ホール
谷の音会演奏会(初舞台)
母校の音楽科同窓会のオーディションに合格し出演しました。
曲はフォーレのノクターン第6番でした。
普通の発表会の経験がなく、いきなり有料の演奏会、
しかもキャパが確か650人くらい(?)の大きなホールで、
文字通り「生きた心地がしない」くらい緊張しました。
共済ホール
野谷恵ピアノリサイタルのリハーサル中。 (1989)
この時は珍しくベートーヴェンのソナタ、熱情など弾きました。
他はバッハから近代まで。カスキなども弾きました。
共済ホール
ファミリーコンサート
・・・と写真のウラに書いてあったというだけで、
何を弾いたか思い出せません(汗)
共済ホール
リストの夕べ
2つの演奏会用練習曲の、
森のささやきと小人の踊りを弾きました。
共済ホール
ショパンの夕べ
ノクターンやマズルカを弾いた時の写真だと思います。多分。。
道新ホール
F・クリダ公開レッスン
奥の金髪の方がクリダさんです。
ヤマハ第2ホール(現・アベニューホール)
札幌ピアニスト協会主催演奏会
画面右下にもう1台のピアノの脚が見えますが、
2台のピアノです。20代半ばくらいです。
ヤマハ第2ホール(現・アベニューホール)
札幌音楽家協議会「コンチェルト・ダ・サローネ」
このホールは、小さい子供の教室の発表会から
演奏団体の主催する演奏会まで、昔から実に良く使われるホールで、
私も何回弾いたか数えられない感じです。
ピアノは常に最新の最高の機種を設置しているそうで、
客席数200くらいというのも丁度良い規模なのでしょうね。
ヤマハ第2ホール(現・アベニューホール)
ムジーク・クライス第1回演奏会
この時は一晩で伴奏とソロを両方しました。
ギターの伴奏でアランフェス協奏曲(全曲)と、
最後にソロでリストの「詩的にして宗教的調べ」から「葬送」を弾きました。
神経の遣い方が全然違うので、
ソロと伴奏を一晩で、というのは結構きついものがあります。
ヤマハ第2ホール(現・アベニューホール)
ムジーククライス第2回演奏会
この時はラントシュ先生が聴きにいらして下さって、感激でした♪
リストがピアノ用に編曲したバッハのオルガン曲を弾きました。
かでる 2・7
ムジーク・クライス10周年記念演奏会
あっという間の10年でした。
記念のこの演奏会では、照明に凝りました。
この演奏会を企画相談中にオメデタが分かったメンバーがいて、
演奏会の頃にはもう臨月になる為、出られなかったのですが、
その人が楽譜を持って調整室に入り、音楽の変化とぴったりの呼吸で
照明が変わるよう、指示を出してくれました。
私が弾いたリストの「オーベルマンの谷」は、夜の闇のように深い青紫で始まり、
少しずつ音楽の変化とともに明るい紫に変わっていき、最後の、
長調で力強く決意して終わるような部分では、明るい茜色のような
夜明けの空の色となって明るく輝いて終わりました。
調整室で指示を出してくれたSさんありがとう。お元気ですか?
上記以外にも、「春の幻想」(幻想的な表題を持つ曲目)とか、
「東の雅 西の浪漫」(↓ 雅楽を取り入れた邦人作品と西欧ロマン派)等、
タイトルの付くような凝った企画の演奏会もしました。
(このちらしのヴァイオリンの方は賛助出演です。)
小樽市民会館
コンセール・セリユ演奏会
リストの「詩的にして宗教的なる調べ」より「葬送」を弾きました。
強い低音で、葬送の鐘(もしくは戦の大砲)が鳴り、
重々しく深刻なテーマを弾き始めた途端・・・・
客席で子供が「ぅえ〜ん!」と怖そうに泣き始めました・・・(^_^;
とても良く表現できたってこと?(笑)
新人音楽会の直後で、同じドレスで出ようと思ったら
小樽の友人に「小樽では刺激強過ぎるよ〜!」と言われ、
黒いケープをつけて大きく開いた背中を隠しました(笑)
ヤマハサロン
野谷恵と7人の門下生によるショパンの夕べ
以前、ヤマハの1Fにあった、小さめの多目的スペースです。
多分、20代後半の頃だと思います。
当時はピアノの先生方を教えるような実力ではありませんでしたから
門下生は趣味でやっている普通の中学生高校生でしたが、
そういう生徒達と一緒に、オールショパンプロでコンサートをしました。
ヤマハアベニューホール
野谷恵自作自演コンサート
2000年の野谷恵門下生コンサートを
3部構成にして、第3部は私がお話を挟みながら
自作を5曲ほど演奏したものです。(お話も含めて30分程度)
札幌市役所本庁舎ロビー
市民ロビーコンサート
ショパンのスケルツォ3番とラフマニノフの小品を弾きました。
大谷記念ホール
グリンカ作品集出版記念演奏会
グリンカは有名ですが、曲の方は本邦初演。
日本で初めて発売される楽譜を校訂されたのが
札幌の作曲家の先生(母校の教授)で、
その先生からお話を頂いての初演でした。
京王プラザホテル
北海道ポーランド文化協会設立記念総会・祝賀会
ピアノは2台ありますが、私はソロでした。
ステージのバックの階段が宝塚みたいでカッコイイですね♪
この階段の上が地上1階という仕組みになってます。
かなり広い多目的スペースです。
ヤマハ・アベニューホール
A・ディエフ公開レッスン
国際コンクール優勝歴のある、モスクワ音楽院の先生です。
10年以上前で、今の私とは腕や体の構えがけっこう違います。
この写真は最初に一度通して弾いているところです。この演奏後、
なんとディエフ先生が、「ブラヴォ!」と言って下さっているお声が、ビデオに入ってます。
でも、「ブラヴォ!」と拍手を先生から頂いて始まりながら、技術的には、
非常に重要な事を教えて頂き、その事が、後に
さらに大事な事に発展していきます。
1回だけレッスンを受けた外国人の先生は多いのですが、
この先生のレッスンは、本当に重要でした。
そして、最後はなんと文字通りの「共演」をさせて頂きました。
波を渡るパオラの聖フランシスに伴奏をつけて下さったのです!
指揮者のような感じで動きながら、もう1台のピアノで一緒に弾いて下さり、
初めて合わせるのにぴったりの息で、私の方も引きずられて盛り上がり、
最後の和音の所など、顔を見合わせながら、大胆に溜めて、
ラストの長い和音はオクターブのトレモロで伴奏をつけて下さって
凄くスケールの大きな、オーケストラ的なフィニッシュ!
レッスンだというに、客席の聴講の皆様も大変盛り上がり、
演奏会のような熱い拍手を頂きました。
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