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近況2006


●2006年10月  「国際コンクールファイナルより嬉しかったこと」

第7回大阪国際音楽コンクールファイナルで、関西での初演奏をして来ました。
前月が色々大変で燃え尽きかけていて、100%納得の行く演奏・・・とは言えないのですが、
でも演奏を聴いて下さった皆さんの感動の詩や文は本当に、本当に、嬉しかったです。
コンクール参加は、それをきっかけに演奏を聴いて頂きたいという理由も大きいので。
ありがとうございました。
ファイナルの演奏を聴いて下さった、くりるん♂さんの詩、「ピアニスト・野谷恵さんに捧ぐ」と、
一緒に聴いて下さったくりるん♂さんの奥様、くるりんさんの「毎日メモ」を、是非ご覧下さい。

翌日、神戸市内の某楽器店でのレッスンの際、ご希望でファイナルの曲も聴いて下さった
橋元庵敦さんのエッセイ「Recitativo」は許可頂き演奏に関する部分を抜粋します。(改行は私です。)

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「八ヶ月ぶりにレッスンを受ける機会が訪れた。
当の先生は前日に国際コンクールのファイナルに出場して大層お疲れだったのだけれど、
目の前で弾かれる音色の変幻自在な表情と迫力の素晴らしさには、あらためて感動してしまった。

男性のピアニストと違って女性特有の、霊が乗り移ったかのように変身して演奏するピアニストの
純粋な集中力にも驚かされる。楽譜を鉛筆で指し示している時は小面だったのが、
弾き始めた途端に夜叉か般若に変わったかの様とでも言うか。
それと合わせて面白い体験をした。説明を聞いている間にはまったく聞こえていなかったのに、
演奏が始まると、フォルティッシモのフレーズにもかかわらず部屋のエアコンの作動音が
ノイズとしてひどく耳障りになったこと。聴き入っているこちらも般若になっていたのかもしれない。

ショパンのポロネーズ第11番も弾いて頂いたのだけれど、ショパン7歳作曲の作品が、
往年の成熟した大家のそれのように豊かで優雅な音楽として響いたこと。
15番の奏法や表情の付け方等、貴重な事柄も数々頂戴できたし、圧倒的な目の前の生演奏からも、
モチベーションアップの糧のみならず、実際に真似てみようと思う部分も頂けた。」


●2006年9月 その2、 「人生初の留学」

チャリコンの会計を超特急(!)で終わらせて送金し、チャリコンから1週間後には、もうモスクワにいました。
学費全額免除でモスクワ音楽院へ短期留学・・・・嘘みたいで、未だに現実感がありません
後日新ページにまとめようと思いますが、とりあえず、ピアノメモをご覧下さい。
右側メニューの「記事カテゴリ」の「モスクワ音楽院」という文字をクリックすると関連記事だけが表示されます。


●2006年9月 その1、 「4回目のチャリティーコンサート」  (曲目、会計報告等は → こちら 

4回目のチャリコンはなかなか参加者が集まらず大変でした。
チラシ折込を音楽事務所に頼むなど色々頑張りました。(その辺は自腹です。)とにかく、甲斐あって、
間際になってから参加者が増え、結局、過去最高金額の寄付ができました。よかったです。。
特に大変だった7〜8月には、何度ももうやめようと思いましたが、
続けてほしいというお声を沢山頂き、これからも続けていく決心をしました。

当日は、出演者の皆さんの中から、「自主スタッフ」が沢山出現! 後で受付スタッフの1人から
「先生は一体、何人スタッフを頼まれたんだろうと思いました。」と言われたくらいでした。
ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
参加者のご感想へのリンクです。 1、主要スタッフ:まきさんの日記 2、出演者:ひつじさんの日記



●2006年8月  「母のカンパ」 と 「椿姫」 〜〜 第11回JILA音楽コンクール入賞

昨年、一大決心で東京でコンクールを受け始めましたが、幸いなことに、
いつもは入院の方が多かった母が、昨年は珍しく、5ヶ月くらいも元気で家にいてくれた上、
受賞を「親孝行」だ等と言って喜んでくれて、度々の東京行きは経済的に大変だろうと、
カンパまでくれたことがありました。
それは、言葉より積極的な「賛成」を意味すると思えたので、とても嬉しかったです。

でも、遠くへ行くことと、初めて経験する真夏の東京の暑さと、極度の緊張から来る疲労で
弾けなくなって、2次予選で落ちたコンクールがあり、心残りでした。

今年の夏は、チャリコンの参加者が集まらず、間際まで宣伝しながら受け付けたため
8月は雑用が一気に押し寄せ、練習などできる状況ではありませんでしたが、
昨年母の気持ちに応えられなかったことがどうしても心残りで、そのコンクールを今年も受けました。

練習時間の長さが総てではないと、普段から生徒に言っている信念と
亡き母が応援してくれた気持ちへの感謝と、後はもう、気合いだけで弾きました。

墨田トリフォニーホールでの2次予選結果は、その場での発表でした。
合格できた時、嬉しいというより、凄くほっとした気持ちで外へ出ると、
去年と同じ眩暈のするような強い日差しと暑さの中に、去年と同じ景色があって・・・
「今度こそ受かったよ!」と、電話できる・・・と思って、携帯電話を取り出して・・・
それから、もう母はいないことを思い出しました。

さすがにその時は泣けましたが、母は知ってくれていると、考えることにしました。

2次ではラフマニノフを弾きました。1週間後の本選では違う曲を弾く規定なので、
リストを弾くことになっていました。本当なら札幌へ飛んで帰って練習するべきでしょうが、
翌日堀内康雄さんの出演される「椿姫」に御招待頂いていて、本能的に(?)、直感で(?)、
札幌へ帰って練習するより「椿姫」を聴くべきだという気がして、迷うことなく聴かせて頂き、正解でした。

本当に素晴らしかったです。
私はよく、曲は物語であり、フレーズは文章であると説明しますが、
オペラはさらにストレートに「物語」です。
その人物を演じ、さらにその音楽を演ずる・・・。
言葉では説明できない、圧倒的なオーラと求心力のある、演技と歌唱でした。

いい舞台を見せて頂き、何かがふっきれたような気がします。

昨日や今日、先週や今週の練習量で総てが決まるわけではない、と考えました。
札幌へ帰った後もチャリコンの事で山ほどの雑用が待ち構えていて、練習などできませんでしたが、
焦りませんでした。(・・・というか、焦っても仕方ないくらい日がなかった。。笑)
自分の内側にもあるはずの、「何か」で、曲を演じようと思いました。

本選は、初めて弾く東京文化会館でした。
緊張は曲へ向かう集中力になって助けてくれました。
もの凄く、ピアノが鳴り響いてくれているのも、じんじんと体で感じていました。
ミスはあったのですが、不思議なほど動揺せずに集中し続け、最後を思いっ切り弾き終えた時、
客席から熱い拍手を頂き、その瞬間、言葉にできない程の充実感と感動があって・・・
もう、本当に、本当に、本当に、点数はどうでもいいと思いました。

レベルの高いコンクールというのは知っていました。
審査員も私が若い頃から音楽雑誌でお名前を拝見したピアニストの方々でした。
ミスがあってはダメなのだろうと思っていましたが、
3位入賞の知らせが届いた時、コンクールに対するイメージが、
少しだけ、良い方へ変わったくらい、嬉しかったです。
(元々、コンクールは好きじゃないのです。母への感謝と、沢山のワケあって受けたのです。)

素晴らしい舞台に御招待下さった堀内さんに感謝します。
来年、日本での初リサイタルをされるのですが、ご成功を心からお祈りしています。


●2006年5月末〜7月 東京

時々体調を崩しましたが、精神状態は少しずつ落ち着いてきました。
東京へも2度レッスンに行きました。

実は、東京は大好き。水と超高層ビルの景色が、とても好きです。
モノレールでは、羽田からは右、浜松町からは左の窓際に座ると、
建物の間から見えるレインボーブリッジや海が、特に夜はとてもきれい。

最近は新宿でのレッスンが多いのですが、新宿の超高層ビル街の景色も大好きです。
レッスンの合間に、オペラシティに食事に行ったりしました。
ここで、もう数年ぶりに叔母と会い、母の形見を渡した時にも、不思議なことがありました。
(母の存在を感じました。) 
そして、叔母から聞いた色々な話には、とても励まされました。

↓オペラシティ53階からの大好きな景色です。

↑左の茶色の建物はホテル・センチュリーハイアット。その隣が都庁です。


●2006年4〜5月 母

3月の記事にあるように、3月末に母が一度回復し、一般病棟に移ったので、
ほっとして東京の授賞式と入賞者演奏会に行きましたが、
帰ってきて間もなく、悪化して亡くなりました。遺言で、身内だけで葬儀をしました。

いずれは・・と覚悟はできていたはずなのに、言葉にできないショックでした。
母の容態が一度良くなったタイミングは、まるで私を東京へ行かせてくれるためだったようで
それも切なかったです。
傍にいてあげればよかったと、どれ程後悔したか。。。
でもその後の心境の変化は、ご挨拶のページに書いた通りで、今は感謝を伝えています。

授賞式の写真、3ヶ月以上経ってしまいましたが、やっと公開します。(7/21)
(yuyuさん、ごめんなさい&ありがとう。)
演奏会の写真は他にもあり、コンクールのページに近日中に掲載します。

↓このトロフィーを母に見せることができて、喜んでもらえたのはよかったです。

4月4日(火)東京オペラシティリサイタルホール(撮影:yuyuさん)

●2006年3月末 ICU脱出!! よかった。。

実は母が一時期かなり重い病状になり、中旬から長くICUにいました。毎日ICUに通いながら、
レッスンもしましたが、病院から電話で呼ばれ、レッスンを全部キャンセルして飛んでいったりもしました。
今まで何度も繰り返しているので、病院から電話が来るだけでショックなのか、
電話の後、手足が痺れたり、顔から血が引いていくのが自分で分かったりしました。
3年前の最初の危篤の様子が、余りにも苦しいものでしたし、昨秋も。。
色々頭を過り、緊張と恐怖で精神的に大変でした。

ようやく、月末になって容態が落ち着き、普通病棟へ移ることができました。よかった。。
東京の演奏会、一時は、またキャンセルでご迷惑をおかけしたら・・と思うと、
それもハラハラしましたが、大丈夫。行けます。よかった。。

●2006年2月〜3月上旬 頑張ります。

2月の東京でのレッスンは新しい方やネットの古いお知り合いもいらして、忙しかったですが、
嬉しかったです。札幌へも関西の方が来られ、HPの力は凄いなと今更ながら思いました。
やっと退院した母が、ほっとする間もなく、すぐまた入院。。
落ち着かない病状の変化に私もずうっとハラハラ緊張したままですが、
しっかりしなくては。強くならなくては。と思います。

●2006年1月後半 東京でのレッスンと、2006年初のコンクール入賞

1月末の東京でのレッスンは、初めての方にも喜んでもらえて、とても充実した楽しいものでした。
実はコンクールも受け、入賞しました。昨年、最初に受けたロマン派音楽コンクールの第2回。
前回は上位入賞できず入選でしたが、今回は入賞できました。入賞者5名中、3名が外国の学歴のある方でした。
入賞演奏会は4月。会場はなぜか続く東京オペラシティです。東京の桜は見られるでしょうか?


●2006年1月前半 皆様のご多幸お祈り致します。今年もどうぞよろしく。

今年の目標は、もっと精神的に強くなることです。しっかりしなくてはね。
新年早々また母が入院し、精神的なものか私も体調崩しがちで・・・色々遅くなっていてすみません。
レッスンも延期やお休みしてしまい、生徒の皆さんごめんなさい。もう大丈夫です。


●2005年12月31日  「コンクールイヤー」の締めくくり

24日(ムーブ町屋ホール)、25日(東京オペラシティ)の2日間に渡って開催された
第26回TIAA(東京国際芸術協会)全日本クラシック音楽コンサートでの審査の結果、
入賞との通知が、31日、郵便で届きました。

私の「2005年コンクールイヤー」は、こうして、
大晦日に良い知らせを頂いて、幕を閉じました。1年間の結果は・・

第1回ロマン派音楽コンクール入選。
第2回ピアノ・声楽コンクール入賞。
第1回大作曲家コンクール「ショパン」入賞。
第11回ベストプレイヤーズコンクール入賞。
第15回日本クラシック音楽コンクール関東地区東京本選入賞。
第26回TIAA(東京国際芸術協会)全日本クラシック音楽コンサート入賞。

今年と同じペースでは、あまりに大変ですが、今後も、たまにはコンクールに参加し、
東京で入賞演奏会などで演奏したいと思っています。またいつか、お聴き頂ければ幸いです♪


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